成蹊高校是位于东京都武藏野市的私立高校,学校的建学理念坚持“个性的尊重”、“品性的陶冶”和“勤劳的实践”。在高一的时候,艺术科目就成为了选修科目,其中包括音乐、美术、工艺设计和书法。高中二年级的时候,划分文理科,少数人热心于英语和数学的再另外划分班级,而且将德语、法语、汉语和韩语作为第二语言学习的话也是有可能的。在高三的时候现代文、英语和体育变成必修课,从18门课中自己选择课程集中学习。
成蹊中学校・高等学校は、東京都武蔵野市吉祥寺北町三丁目にある男女共学の私立中高一貫校。高校時代は生徒一人ひとりが中学校時代に自覚した才能、個性を将来のために伸ばす時です。成蹊高校での学習は大学受験のためだけと捉えずに、自分が人生で何を目指すかを決め、それに向かって自らの才能、個性を伸ばすことと考えています。カリキュラムは、特定の分野に偏りがないよう幅広く学習することをねらい、必修授業を中心に将来への教養の土台作りを目的として作られています。1年生の芸術科目は選択制ですが、他はどの授業も必修授業となっています。家庭科も男女必修で、調理実習や保育授業といった学習も男女の別なく行われています。必修授業を多くすることによって偏った学習を防ぎ、一人ひとりの視野が広がるようにしています。2年生は学校の中心的存在です。クラブ活動、生徒会、校外活動などにも力が入る時期です。授業は引き続き必修科目が中心となりますが、文系・理系への緩やかな移行が始まります。さらに秋には 3年次のコースを決め、進学への準備がスタートします。
沿革
1906年 - 中村春二が本郷西片町の自宅に学生塾開塾
1907年 - 学生塾を「成蹊園」と命名
1912年 - 成蹊実務学校を池袋に創立(1927年まで)
1914年 - 旧制成蹊中学校を池袋に創設(1929年まで)
1915年 - 成蹊小学校を池袋に創設
1917年 - 成蹊実業専門学校を池袋に創設(1925年まで)、成蹊女学校を目白に創設(1921年まで)
1919年 - 初等教育・高等普通教育・専門教育を目的とする「財団法人成蹊学園」設立
1921年 - 成蹊女学校を成蹊高等女学校として目白に創設(1956年まで)
1924年 - 成蹊学園が池袋から吉祥寺に移転(成蹊高等女学校のみ目白にとどまる)、新校舎「本館」完成(現在の成蹊学園本館)
1925年 - 中学校が旧制成蹊高等学校(7年制)に発展改組(1950年まで)
1927年 - 校歌「成蹊の歌」制定(志田義秀作詞、信時潔作曲)
1935年 - 成蹊高等女学校が成蹊学園より分離独立(財団法人東京成蹊高等女学校として発足し、1951年に成蹊女子学園となる)
1942年 - 現成蹊気象観測所が、東京管区気象台より「吉祥寺観測所」の名称で補助観測所に指定(1976年まで)
1947年 - 新制成蹊中学校創設
1948年 - 新制成蹊高等学校創設
1949年 - 成蹊高等学校 米国セント・ポールズ・スクールへの留学制度スタート
1951年 - 財団法人成蹊学園を「学校法人成蹊学園」に改組、現成蹊気象観測所が中央気象台からモデル気象観測所に認定
1954年 - 分離独立していた成蹊高等女学校は成蹊学園に合併し、在校生は成蹊中学校・高等学校に編入
1956年 - 成蹊高等女学校が廃校
1959年 - 成蹊気象観測所設置
1964年 - 成蹊中学校 帰国子女教育を目的とする「国際特別学級」設置(1995年「国際学級」と改称)
1970年 - 成蹊高等学校 オーストラリア・カウラ高校と交換留学制度を制定
1971年 - 成蹊学園欅並木 武蔵野市の文化財(天然記念物)に指定
1982年 - 成蹊学園欅並木 都民の日制定30周年記念として「新東京百景」に選ばれる
1996年 - 成蹊学園欅並木 環境庁(現・環境省)の残したい「日本の音風景100選」に認定
2006年 - 成蹊高等学校 英国ケンブリッジ大学短期留学プログラム開始
2007年 - 新中学校ホームルーム棟完成、成蹊学園三菱留学生奨学基金創設
2008年 - 新高校ホームルーム棟完成
2009年 - 成蹊学園本館改修、けやきグラウンド改修
2012年 - 成蹊学園創立100周年 |